私たち親子は小学校受験を経験しています。結果としてその際に受験した私立小学校に現在通わせていただいていますが、小学校受験に向けての取り組み自体がとても楽しかった思い出で、その濃密だった時間を今懐かしく思います。
昔話
当時 日々の取り組みでは、隣り合って座り、まず最初に必ず昔話の読み聞かせをしていました。「毎日最初に二冊」と決めていて着席後最初の儀式のようなお楽しみでした。
まとめて購入すると結構な金額になるのですね。一冊350円程度で、「はじめての世界名作えほん」、「世界名作アニメ絵本」、「世界名作ファンタジー」など何種類かありますが、我が家は特にどのシリーズと決めることなく、本屋さんで少しずつ買っていて、気づいたらかなりの冊数になっていました。
「今日はどの二冊にする?」と尋ね息子が「その日の2冊」を選びます。
取り組みの最中にも時々読んでいました。
すると毎日のことなので繰り返し何度も読むことになります。
小学校受験では昔話の設問も必ずありましたが、特に "受験勉強" あるいは "記憶" といった意識はなく、親子のコミュニケーションの中で自然と多くの昔話に触れ、親しむことができました。
四季の行事や草花
幼児期の息子とは、季節の行事、季節の動植物、季節の食べ物などなど、常に四季を感じながら時間を過ごすことができました。
これはお気に入りの図鑑です。
身の回りの四季を味わいながら日々を過ごすと、日常は彩に満ち溢れ素敵なものになりました。
小学校受験ではこういった内容が「常識問題」として出題されますが、SAPIXの理科のテキストを見ていても毎回必ずその時期の動植物や星座などが表紙に説明されており設問もあります。中学受験段階になると日本の行事やマナーという範囲を脱出し、理科的なものとして内容が精緻化されますが、身の回りの四季を感じる心、これが出発点なのかなと感じます。
当時 息子と過ごした濃密な時間は今となると大変懐かしく、隣に座って過ごした貴重な時間や四季を感じながら歩いた道のりなど、そのどれもが大切な思い出です。
今、中学受験に向けて、その学びは精緻で深いものとなっていますが、再び息子の隣に座って貴重な時間を持てるようになったことを嬉しく思っています。
中学受験では記憶すべき物事の数はずっと増え、より深い思考が求められます。
でもその場限りの知識とするのではなく、一問一問を楽しみ味わって、知恵・教養として身につけられるようにしたいものです。
そしてここで培われる深い思考が 今後の学びの基盤としていつまでも活かされるものであるようにと願います。