1年半で中学受験 2022

仕事に没頭していた母が退職し息子の中学受験に伴走開始。小5からの短期決戦。

【28日目実績】ちょっとずつ分かってきた

 8月29日の実績 

 

  • 学校の宿題(日記、漢字、算数問題集)
  • 基礎トレ当日分
  • SAPIX国語(デイリーチェック指定範囲:『言葉ナビ』、知の冒険(52A-16「7」、「8」)、漢字52A-19 )
  • 水泳あり

 

ポイント 

 

マンスリー翌日 ~学校の宿題

マンスリーテスト翌日の土曜日。とりあえず土曜日の午前中は「自由!」と約束していたので、息子もゲームをしたりして自由時間を満喫した模様。

午後からは着席。まず最初のタスクは学校関連(現在はまだ2日に一度の登校)。木・金曜日はSAPIXの勉強を優先したため、木・金・土曜日にすべきだった宿題などはこの日一気に対処。

まず日記。次に漢字の短文づくり。それから以前の漢字テストの復習に、算数の問題集3日分。小数の割り算が並んでいるページで、息子はダラダラ --- 。答え合わせをしてみると、余りの小数点の位置がおかしいんですが・・・!? 私がその意味から説明してみる。こんな基礎から間違っていては中受レベルじゃないねぇ。これからは基礎からきちんと勉強しようね。

こんなことをしているうちに、すぐに水泳に出かける時刻になってしまい、前日のマンスリーテストの復習に関しては、かなりざっくり確認しただけでこの日は終了。

 

マンスリーテストを終了し分かってきたこと

息子との二人三脚を始めて約一か月。28日にマンスリーテストを終えた。まだまだ手探りとは言え、私は息子のことや今後の進め方などについて「だいぶ分かった」ような気がしている。その上で「うん、大丈夫」、そんな気持ちでいる。

この日もいつも通り基礎トレに取り組んだ。1問間違いがあった。⑨番、点の移動に関する旅人算。この一か月間、⑨番として ほとんど同じ問題を解き続けてきた。そして基本的に正解してきたが、この日は間違っていた。

2人で問題を再確認してみる。

私が一般的な(いつも通りの)解説をすると「あぁ、引き算か」と言う息子。いわゆる「追いつき算」だったので2点間の距離を2点の速さの差で割るのだが、「今さら?感」が否めない。 なぜ引き算をしているのか、最初にいつも通りの説明をしてみる。その次に、ちょっといつもとニュアンスを変えて説明してみた。

どちらの説明も全く同じことを言っている。でもちょっと言い方を変えた。そのとき、少し息子の表情が変わった。ビビビと来た、といったような。そしてそれについて自分なりに説明を始めた。そのとき、「あ、少し自分のものになったかな、本当の意味で理解したのかな」と私は感じた。

 

これまで一か月、特に最近、私は頻繁に「息子の頭の中での理解の仕方が謎」、「いつも当たり前にやってきた問題を突然間違ったり、唐突に理解をひっくり返すような質問をされる、大丈夫かな?」などと感じてきた。(最近こういうことを頻繁にここに書いている気がする。)

しかし、マンスリーを経て、そしてこの旅人算の確認をしているときに、少し息子のことを理解した気がした。

 

繰り返しが重要。それは単に同じものを反復するのではなくて、様々な側面から認識する必要がある。彼は自分の中で繰り返しそれを咀嚼し、自分自身の体験も相まって、いつかその知識が自分のものとして体得される日がやってくる。・・・今私はそんな感じで捉えている。

国語の文法(『知の冒険』)を勉強しているときも、私からすれば先日一緒に学習した内容なのにやっぱり分かっていなかったのかとがっかりすることがあったが、一度学習したからといってそう単純に本質的な深い理解に到達するものではないようだ。私が一人でペラペラ解説をして本人が理解していると思い込んではいけないと思った。

しかし、先日「『設計』の『ケイ』って『計』であってる? 『測』っていう字と迷った」と言われてびっくりした時のこと。息子が「『はかる』っていうのはどっちも同じ(計る・測る等)… 」などモゴモゴと言っていたことを後から思い出し、息子は息子なりに何某か物事をリンクしながら頭に入れているということは分かった。

 

この子はちょっと時間がかかるだろうな、とは思っている。でも彼なりに物事を捉え「リンク」を張りながら認識していっている。自分自身で咀嚼しようと試みている。時間はかかるだろうけれど、いつか全体を本質的に理解できるときが来る。そんな気がしている。

別の見方をすれば、これからも、それまで形式上正解できていた問題を突然間違うこともあるだろうな、と。でもそれは本当の理解に至る前兆だったり、自分なりにしっかり咀嚼しようとしたことによるゲシュタルト崩壊のようなものだったりするかな、という印象。

 

ヘレン・ケラーの「water」の存在、大げさかもしれないけれどそれを思い出した。

有名な「井戸端の奇跡」。彼女は「water」という単語も綴りも それ以前から知っていたと言われている。しかしある日、水を手に浴びながら、その単語とそのものとが彼女の中で一体化し、物事の本質のようなものが実感と共に把捉され、そのとき自分と世界とが混然一体となって、世界は明るいものに変化したのだろうと私は解釈している。

 

それに似ているかもしれないと思う。すぐには来ない。簡単ではない。でもその時はいつか来る。全体の本質が体得される日が。そのための日々の積み重ねが重要だと考えている。だからこれからも、ゆったりした気持ちで、前を向いて息子と歩いていきたい。表層的に、テクニカルに学ぶのではなくて、息子と一緒に、深いところから理解するべく学んでいきたいと思っている。多分それはとても楽しい毎日だから。

 

感想

これまでの蓄積が浅すぎるので、「先日一緒に勉強したのにやっぱり分かっていなかったのね」という状況になることがわかってきた。

基礎の蓄積も、繰り返しの学びも、実感も、体験も不足しているので、表層的にさらりと触れてもそれが表面上を素通りしてしまうようだ。

一方、繰り返しは大事なのだけれど、全く同じものに繰り返し取り組ませても「流れ」の中で解いてしまい本質的な理解になっていないと分かったので、私としては、本当の理解に至っているか、形を変え、方向を変えて確かめてみる(別の問題を準備する等々)など、取り組み方法も工夫していこうと思っている。

 

新 コーチングが人を活かす

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