1年半で中学受験 2022

仕事に没頭していた母が退職し息子の中学受験に伴走開始。小5 8月からの短期決戦。小6秋までSAPIXに通塾。

【476~488日目実績】自分自身の勉強へのシフト

当該期間の実績など

 

  • 四科:当該期間後半は多くの過去問に触れる。
  • 算数:『標準20回テスト』立体図形、速さとグラフ、平面図形は2(または3)巡目に。
  • 漢字:一つの問題集(『出る順「中学受験」感じ1560が7時間で覚えられる問題集』)を何巡も。だいぶ漢字にも慣れてきた模様。
  • 国語読解:過去問を次々と実施してみる。特に私からの解説はせず、やり方は自分で切り拓いて行ってもらう。
  • 理社:手薄になりがちだった。単純に『コアプラス』を回すのが苦手で『出る順過去問』も併用した。

 

ポイント

 

11月後半へ

小学校の入試休暇終了後の11月9日から12月1日まで。

 

とうとうダイニングテーブルと勉強机とが置き換わる

小学校入学前に息子の勉強机等を購入したものの、少なくとも小5の8月1日以降私が息子の伴走者になってから、息子はダイニングテーブルで私と隣り合い一緒に勉強するようになっていた。

SAPIXのテキストは次々と増えていき足元のボックスからさらに増殖、机の上には他の参考書が並び、さらにテキストのため机の前には棚が取り付けられた。背面無しのその棚には、裏側へ回ってテキスト、机側からも手を伸ばせばまたテキスト。こうしてもともとダイニングテーブルだったところは完全に息子の勉強机になった。

入学前に購入した息子の勉強机は比較的大きく味わいのある木製で、将来的には普通のテーブルとして使用することが想定された作りだったが、この流れの中、当初の想定より随分早く息子の勉強机が普通のテーブルとして使用される日が来た。

この期間中にダイニングテーブルと勉強机とを完全に入れ替え。元・勉強机は綺麗にしてリビング端のスペースに移動。食事は落ち着いてそちらで取ったり、その他の作業でも利用したり。気分の切り替えも可能になり落ち着いたスペースができた。

それから、この期間に息子は夜、二階の寝室ではなく一階で寝始めた。当初はリビングで、そのうちそれが定着してリビングの隣にある小さな和室で。

一階で寝ていると、朝は明かり、生活音など、緩やかに活動的な時間が始まっていくので目覚めやすいように感じる。しばらくの期間はこのまま一階で寝るのが良いかなと思う。

 

自分事として ~もっと大きな夢を~

この期間、息子も随分落ち着いて勉強に取り組めるようになってきたと感じられた。以前なら私がずっと傍に張り付いて一問ずつ一緒に取り組まねば進まなかったが、何かの問題セット一式について時間を決めて一人で地道に取り組めるようになった。

片耳イヤホンで好きな音楽を流しながら取り組んでいることも結構あり、それ自体はあまり良いことではないだろうと思われたけれど。

この時期主人の帰宅が比較的早く、勉強中にうまく理解できず苛立った息子に対し、どうすべきだろうかと家族3人で話をしたことがあった。そういった夜の長い会話の時間はこの期間中に2、3回あったろうか。

分からないことを理解しようとする行為には困難が伴うものだが、それはもともとワクワクするような楽しい体験でもあるはず。ある時、目先のことではなくもっと大きな夢を抱いてみると、目先のこの小さな勉強も「さっさと理解して自分の血肉にすべきもの、土台として当然必要なもの、この先どこに進もうとも必要であるもの」と認識できるのではないか、将来的な仕事という観点から考えると目先の学びにもより興味関心が抱けるのではないかという話になった。

「で、将来何になりたいの?」と主人が問うた時、息子は明確な職業名は言えず漠然としているようだった。それに対して、そういった好みがあるならばこんな仕事もあるかもね、こういったことを仕事にする人もいるよね、・・・と話は広がった。子どもにとって目に見える範囲は非常に狭いけれど、普段見えない裏側に多種多様な種類の仕事があり、様々な人が様々な分野で自身を活かした色々な仕事に就いている。

そのような話をしていると息子の顔は輝いていった。

 

傍に付くことと言語化の重要性

秋になり息子はSAPIXの通常授業のほか土曜日には土特、日曜日には一日中SS特訓に出かけるようになった。土日の大半において息子不在で私は自分を取り戻すかのような時間が得られるようになった。

しかしやがて、そのような時間の過ごし方は再び行き詰まりを見せ、土特はまた欠席するようになり、学校後に直接赴いていた火・木曜日の通常授業も欠席することになった。

残るは日曜日のSS特訓だけになっていたが、これも雲行きが怪しくなってきた。

SS特訓は志望校別のクラスになっておりお弁当を持って朝から晩まで塾で問題を解いたり授業を受けたりしていた。夕方以降は算数と国語の単科講座。

一日塾に行ってしまうと帰宅時には妙な解放感を得ているようだった。SS特訓自体の話はあまり聞かなかった。特に楽しいとも言わなかったし、授業や学んだことについて触れることもなかったため私にはその内容がほとんど分からなかった。聞いたのは算数の単科クラスが一つ下がったということくらい。

よく分からないために比較的これについては本人に任せがちになってしまっていた。ある程度は自分で静かに取り組めるようになっていたこともあるし、このころになると「一人で抱え込みがち」になっていたこともある。

しかしある時また行き詰まりに気づいた。算数と理科で。

算数については家で復習テストというものを解こうとしていたが、全く分からず解答を見るもそこには解説がない。内容は前週のもので単なる数値替え問題だから前週のテキストの解説を読む。でもそれを読んでもよく分からないと言う。どれも授業で解説を聴いているはずだけれど・・・。私はそれに頼っていたが持ち帰ったテキストを見ても授業中に解いた問題は間違いだらけで、この子の場合基礎から独自にやり直さねばならないことを思い知る。

理科は授業時2種類のプリントに取り組みそれらの解説を聴いているようだった。もう一つの冊子は全体が宿題。結構な量がある。一問一問大切にすべきだ。しかし息子の言い方はこうだった、「これは宿題だからやって行かないといけない。『義務だ』って言われる、やってないと怒られる。過去問をやったのを持っていくと20点加算される。」。・・・形式上こなしているだけ、ただ流しているだけというふうに見えた。雑にこなすべきではない、これでは身に付かないと感じられた。

しまった、失敗した、私がもっと介入しても良かったと思った。

私たちが「教えて、説明して。」と逐一入り込んでくるのは煩わしいかもしれない。言語化して説明するのは難しく面倒だろう。しかしその多少の難しさが重要なのだと思う。

一人でこなせる部分も増えてきたのは成長であり、尊重したい部分でもある。ただ一人で抱え込み、長らく間違った方向へ彷徨っていることもあり匙加減を考えないといけない。

 

気付いた理解の仕方の問題点

例えば、分からない問題で解説を見ると「① 問題の指示に従うとこうなる、② だからこう計算する、③ 結果として答えはこうなる」という記載になっていたりする。さっぱり分からない状態でそれを見た息子は「①」の「こうなる」という部分を読んで「へぇ、そうなんだ。」と感じ、「ふぅ~ん。」と軽く流し、それを出発点にしてしまう傾向が強く、だから汎化能力が低いと気づいた。

「①」が分かれば「②」(計算)や「③」(結果)は自明であり簡単なものだ。解説では端折られているが「①」の「こうなる」という部分を自力で導くのが大事なのに。さらにそれを一般化して理解できていないと汎用性がないのに。しかし息子は白紙の状態から「①」を見たタイミングで「ふぅ~ん。」と流し「その前提があれば、まぁ言っていることは分かる。」と済ませてしまう。

当然のように書かれていて詳細の説明がないけれどどうしてそれが導けるか説明できる? すべて一言(一つの図)で済まされているけれど、それぞれどんな順番で導いていける? ・・・と時間をかけて深堀りする。それら一つひとつをクリアして初めて一問分かったことになる。しかしその「一問」は「正にその一問」ではなく「汎用性の高い一つの理解」。

全くの別件だが、このころ洗濯機の操作を息子に依頼したときにも同様のことを感じた。我が家では目的に応じて通常3パターンの異なる洗濯をしている。ある時息子に操作を依頼すると、時々頼んでいることなのにまたやり方を教えてと言って来た。「覚えられない。」と。そのとき、都度「この依頼を受けた場合、まず "ここにあるボタン" を "〇回" 押す。次に・・・」といった無味乾燥で一時的な記憶に頼っていたと分かった。各ボタンにはその内容が書かれている。どのような洗濯がしたいためにどのボタンをどう押して何を指定するか、その場で「意味」を考えたら特に "覚える" と言うようなものでもなく、そういった理解をすれば新たな洗濯方法を採りたい場合もその場で考えてその指示を "組み上げる" ことが出来る。

私たちは、中学受験というこの機会に、勉強の仕方というものを少しずつでも身につけて行ってもらえればと思っている。今このような状態になっているのも息子が悪いのではなく、親である私の怠慢が原因だ。

SS特訓への向き合い方も、もっと違うものにすることも出来たかもしれなかった。

 

退塾への序章

11月後半、私たちはSAPIXを退塾する方向へ傾いていた。11月最後の回のSS特訓は欠席し自宅学習とした。

国語の過去問を解いた際、この期に及んで半分しか時間内に解答できていなかったり、選択肢が全部間違いという鉛筆を転がしたほうがマシという状況を目にしたりして(その後国語については別のやり方を提案しそれを自分のものにしていっている)、私が思わず「今までSAPIXに通ってやって来たことは何だったんだろうね。」と言ってしまったとき、苛立っていた息子は少々不貞腐れた態度でこう返答した。「クラス上げることじゃん? 言われた宿題をやってくことじゃん?」。

「クラスは上がってないんじゃない?」というのもあるけれど、やはり塾に通いながら心掛ける方向性がこの子の場合には合っていなかった、正しくなかったと思った。

ゆっくりで良いから自分の力で解く力をつけていくこと、言い換えれば本当の勉強をすること、そのためにもうSAPIXはやめて解放されたほうが良いと思われたし、本人も家でじっくり自分のペースで勉強したほうが良いと言った。塾をうまく活かせていないだけでなく、何かに囚われ悪い足かせになっているように見えた。本来であれば一つひとつご相談しても良いのだろうけれど、息子の場合は塾と合っていない部分が多く相談しようにもちぐはぐした部分が残り、独自に息子を見つめ本人に適したやり方を進めたほうが得策だと思われた。

息子との日々は受験勉強の伴走と言うより、あくまで子育てだった。新小6になった2月の保護者会動画を視聴したとき、先生方によるその軽快な説明が私には心地良く、従って行きたいような、私もそこに上りたいというような気分になった。それは理性で割り切れる大人の世界、仕事と同じような白黒のはっきりした世界だった。しかし息子はその流れについて行かなかった。後ろ向きに逃げていくかのように、その頃から離れて行った感がある。

私にとっては隣に存在する「現実」(息子)とSAPIX側からもたらされる「理想」(白黒はっきりした理性、大人の仕事と同じような世界)との乖離が大きすぎて、やがてそんな違和感から保護者会動画からも心が遠のいた。

SAPIXについていけていないと言われればその通りで間違いない。SAPIXではもっと上位の人たち、あるいはゲーム性のあるやり方を好んで受け入れる人たちや多少なりとも戦闘意欲のある人たちを相手にしたやり方が展開されていて、我が家の息子のような子にとっては合わないことも多いだろう。ある種の基準に縛られて自身の首を絞め続けるのはもうやめようと思った。

ただ実際には11月末、SAPIXへ電話してそう伝えようとしたができなかった。帰宅した主人にそう言うと「まだ続けているの?」という反応。今すでに目の前にたくさんある問題をきちんと解けるようにしろ、息子の場合は基礎を押さえ、まずは当たり前の問題を当たり前に解けるようにすべきだと言った。息子にはこれ以上の新しい問題はもう要らない、と。

最後まで在籍することにより最終的に残る塾の実績に傷をつけてしまうのは申し訳ないと思った(できの悪い分母は少ないほうが良いだろう)。けれどもここまで成長できたのは、これまで導いてくださったSAPIXの先生方のおかげだ。

 

感想

 

ここに来て「息子の速度で良い。それが遅くても、自分で考えて咀嚼し自分の中で理解して行ければ良い。本人に適したやり方で進めて行こう。」という方向に変わった。

12月初に退塾を告げることができ今日は学校の終業式。12月に入りこれまでの2週間、そうは決めてもなかなかうまく進まなかったが、ここから本当に独自の毎日が始まる。

過去を悔いたり未来を憂い不安になったりして貴重な一日を台無しにしないようにしよう。今日の失敗は明日の糧。失敗からいかに学びを得られるかだと思う。

貴重な毎日を大切に生き、一緒に歩み共に成長していきたい。

人生は長い。受験を重みのある通過点と考えたとき、息子にとって、それはどんな成長の機会にできるだろう。

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