1年半で中学受験 2022 とその後

都内私立小に通い小6秋までSAPIXに通塾した男子の中学受験とその後。小5 8月、母親(私)が仕事を退職し中学受験の伴走を開始。小6 12月、SAPIX退塾、2022年外部受験。栄東中進学。

日々の小さな言葉


先日息子が「つまらないことだけど・・・」と話し始めた。

年末に親戚と会った際、息子にとって又従弟にあたるSちゃんの絵が話題になった。
Sちゃんは息子より2週間ほど前に生まれた女の子で同学年。
幼稚園の頃から絵画を習っているらしく、その写真を見せてもらった私たちはあまりの傑作に称賛の嵐だった。

その中には自画像もあり、それを見た私は、その絵が上手なだけでなくご本人に「そっくり」だと思わず言った。

これについて、この日、息子が言った。
「お母さんは『そっくり』とか言っていたけど、ぼくは本物のほうがきれいだと思ったの。でも『本物のほうがもっときれいですよ。』って言うと絵が下手だと言っていることになるかもしれないと思って言えなかった。」と。

その場合「もっときれいですよ。」と言っても良かったのか、それが誉め言葉になるか、それともそれは絵が下手だと言うことを期せずして意味してしまうのかと尋ねてきた。
もう1ヶ月半も前の出来事なのに、今もそれについて「時々考える」なんて言う。

「かわいいな」と、私は思わず笑ってしまった。
(「もっときれいですよ。」なんてどんな人が言うかによるかも。)

4月からは共学校。頑張れ、新中学生。

 



SAPIXをやめて家庭学習をしている際に息子が言った。

「SSの単科講座(算数)のときに、一番上の人たちの教室から声が聞こえてきて、間違った人に『えー、こんなのも解けないの!?』って皆で言っていたけど、ぼく、ああいうのダメだと思う。」と。

実際には最もよくできるクラスは和気藹々と楽しく算数の問題を解いていて、そう言って励まし合い切磋琢磨しながら過ごしていたのではないかと思うのだけれど、「できない」息子にはそれがただ間違った人を責めるだけの嫌な言葉に聞こえたのだろう。

「サピには、できる自分は人より上で偉いんだ、少しでも上に行くんだって周りを見下すみたいな雰囲気があった。クラス落ちすると『ざまぁ』って言われるし。」と息子は続けた。

言わんとすることが分からなくはない。
「じゃぁ、自分はしっかり勉強して、お勉強もできるけれどもそういうことを言わない人徳者になれれば良いね。そして、そういうことを言われることもない立派な人になれれば良いね。」と私は答えた。

 



ある日学校から帰宅する際に「文集の文章を書き直すことにした。」と息子は言った。
12月中に下書きしていた頃と考え方が変わったから書き直したいと先生に申し出た、と。

各人がテーマに基づく4つの文章を書くことになっているらしかった。
自分の文章の中には「死」に触れたものがあったが、年末に曾祖母が亡くなりそれに対する思いがすっかり変わった、と。

昨年末、記憶に残る中では初めて自分の知る近しい人物の死に直面した息子。
葬儀の際、私の横で
「人間の最期ってこうなんだ。嬉しくないね。」とか、
「人間、どんなに努力しても最期はこうなんだ。」等とぼそぼそ言っていた。

息子が言うには、色とりどりの花が灰になり、また遺骨が最後に小さな塵取りとほうきで扱われたこともショックだったらしい。

生きている自分は身近なコンビニでも丁寧に扱われるのに死んでしまえばこの扱いかと思ったと言う。

この体験を通し自分は死が怖くなったけれど、それによって生の輝きを知り、今後自分は生きている人に対して丁重に接し「ありがとう」と言える人間でいようと思ったと綴っていた。

曾祖母の死は悲しい出来事に違いはないけれども、息子はまた一つ貴重で大切な経験を重ねたのだと感じた。

 



息子にはまだ幼いところがある。そして彼は個性的だ。
勉強に対しても、残念だが私はまだ目も手も離せない部分があると思っている。

しかし息子には息子ならではの良さがある。
その良さを生かしながらコツコツと努力し強さを身につけ、人生を切り拓いて行ってもらえればと願っている。

 

にほんブログ村 受験ブログ 中学受験(サピックス)へ   にほんブログ村 受験ブログ 中学受験 2022年度(本人・親)へ

当ブログでは Google Analytics を利用して、アクセス解析を行うため にcookie を使用しております。
Google Analytics で集計したデータは当ブログのアクセス解析や改良、改善のために使用させていただくものとします。
なお、cookieは個人を特定する情報を含まずに集計しております。
Googleによるデータの使用については ポリシーと規約 をご覧ください。