先週金曜日に校外学習があった。
かなり楽しかったようだ。
水族館と陶芸(手びねり)体験 --- どちらも息子の好む内容。
でも、それだけではなく、
この行事を通して同級生との親睦が深まったようだ。
お土産の一つとして、息子は手で持つのにちょうど良いサイズのぬいぐるみを購入していた。
ふわふわの、かわいらしいペンギンさん。
息子らしいお買い物・・・。
息子の買ったこのふわふわのぬいぐるみが女子にも人気で、
手に持って羽をパタパタさせてみたり...と、帰りの道中には随分かわいがられていたのだとか。
伝わってくるのは、あまりにも楽しそうな道中の様子だった。
この日の話では女子だけでなく何人か男の子のお名前も聞いた。
そしてLINEの友だち数が増えていた。グループにも入れてもらっていた。
相変わらずその多数が女子のようにも見えたけれども。
中学受験を終え小学校を卒業した春休みに、私は何度か「息子はここで人生の風景を変える」と書いた。
しかし当時の私はまだまだ臆病で「それでも状況は急に変わるものでないかもしれない」と付け加えていた。
ところが今、その風景はガラリと変わった。
これほどまでに温かく、やわらかで心地良いそよ風に包まれた場所があったのかと今の私は思う。
この学校について、素直で明るく伸びやか、そんな形容詞が思い浮かぶのは私だけですか。
息子の今後の人生にも、そして彼よりずっと年老いた私にも、
「止まない雨はない」とか「明けない夜はない」とか、
自分を大切に、そして自分の気持ちに素直になって望む場所を求めれば
もっと自分らしくいられる居心地の良い場所が見つかると教えてくれた気がする。
今後どのようなことがあろうとも、背中を優しく押してくれる勇気を学んだかもしれない。
さてこの週末には、十日後に控えた中間試験に向けた勉強していた。
指定された試験範囲の全てについてその一周目は終えた。
あまりにも時間がかかったり、つまらない計算ミスが続いたりすることもあった。
でもその際の態度が以前とは全然違った。
以前の息子は、間違い等を指摘されるとイラッとして反発したりもした。
直していこうという本人の思いが感じられなかった。
そして私たちの言葉も本人の中には吸収されず、跳ね返ってくるように感じられた。
ところが、今は違う。
息子自身が前向きだ。
間違いを認め、どうすれば良いか考えている。
それを直そう、より良くなりたいという気持ちが伝わってくるし、私たちの言葉が本人の中に受け入れられている感覚がある。
主人と国語(読解)の問題に取り組んでいるときもそうだ。
妙な読み方(独特のひねくれた解釈)をすることもまだまだある。
でもその後に続く主人との会話が建設的であるように感じられた。
一人で勝手にイライラすることもなくなったし、じっくり考えて落ち着いた会話を展開していた。
日曜日の夜、息子が翌日の学校の準備をしている際に
「明日は学校、楽しみだねぇ」と私が言うと、
息子は明るく「うんっ!」と即答した。
「話をする人もだいぶ増えたよ」と言っていた。
そして「希望を持って学校に行ける」という表現も飛び出した。
私は今の環境に心から感謝している。
そして思う、学校生活の充実によりこれほどまでに人は変わるのだと。
状況が好転し、現実が変わっていくのだと。
小学校に入学後、息子の人生の歯車は狂って噛み合わなくなったようだった。
でも今、再びカチッと噛み合って、滑らかに回転しだしたように感じている。