6月17日(金)、蒸し暑い日。
息子の通う学校では、この日、中高別で午前中のみとした体育祭が行われた。
息子はこの一日で随分日焼けした。
夜には「楽しい一日だった」と言った。
かつては「ぽっちゃり体形」で走るのが遅かった息子だが、
去年あたりから「走るのが比較的速い人」になっているようだ。
以前は特に食べ過ぎていなくても「ぽっちゃり体形」が治らなかった。
走るのも遅いほうだった。
スポーツ用品メーカー主催のかけっこ教室に参加して
トレーニング用具を購入し練習してみたこともあったけれど、何も変わらなかった。
5年生まで、通知表で体育には「2」がついた。
状況が急に変わったのは6年生から。
5年生後半から背が伸び体形が変わり始めた。
するとそれまでとは反対に、特に何もしていなくても「ぽっちゃり体形」でなくなった。
そして、何もしていないのに、走るのが速くなった。
6年生の運動会では徒競走で1位になって驚いた。
今回の体育祭でも少しは活躍できたとしたら、良かったと思う。
成長や変化には「とき」というものがあるように感じる。
その「とき」でなければ、無理に頑張ろうとしても結果が出なかったりする。
でもその「とき」が来ると、それまでの状況がうそのように変化が現れ、成長を感じる日がやってくる。
子育てでも、勉強でも、何事においてもそういった側面があるような気がする。
だから、うまく行かなくてもがいている最中でも、大らかな長い目を失わないようにしたい。
やがてやってくる「とき」を信じながら、そっと見守る姿勢を忘れないでいたいと思う。
そしてうまくいかなくて苦しみもがいている、その時期の努力や苦悩も
いつかやってくる「そのとき」につながっているという希望を抱きながら、前を向いて歩いていける人になりたいと思う。
「つま先で走るようにしている」と息子は言う。
息子の後ろを一緒に走っていた同級生は、息子が地面を蹴り上げるとき後ろに砂が飛び散っていたと言ったそうだ。
「そうすると速く走れる」と息子は言う。
その走り方は、息子自身が見出した自分なりの走り方なのだろう。
かけっこ教室に参加した頃に「こうしたら速く走れるかもしれない」と伝えそれを試しても、きっと結果は何も変わらなかったと思う。
それは、適切な「とき」に、息子自身が自ら見つけた、自分なりの走り方。
何事においても、
他人から与えられたものや押し付けられたものではなく、
自分で見つけた自分なりの「走り方」でこそ、そしてそれが「自分のもの」となってこそ、物事はうまく進んでいくのだろうと思う。
さて、この体育祭があった金曜日は、ちょうど期末試験の2週間前だった。
中間試験が終わって1ヶ月と少しで、もう期末試験。
翌土曜日は月に一度の家庭学習日だった。
土日の2連休は中学入学以降は月に一度の大切な日。
この二日間でどの教科も一通り試験範囲を学習し今後の予定を立てた。
勉強方法だって、いつも試行錯誤。
息子の場合通学時間が長いから、その時間を何とか有効活用できないかといつも思っている。
理科2(生物)や社会(地理)も問題集の指定範囲は一度解いたけれど
今度はそれらをコピーし、オレンジのペンでそこに答えを書きこんでもらった。
よくある赤シートで隠す方法。
これらの科目は電車内で復習が進められないかと。
新規購入したオレンジ色のペン --- 息子の好きそうな書き心地と軸径0.38㎜、
これは予想通り気に入ったようで、丁寧に答えを書きこんでいた。
これにより問題集は2周目終了。
気に入った文房具で丁寧に作成したノートには愛着がわく。
それにより行き帰りの電車内できちんとチェックする気にもなるだろう。
テスト前には最終的にもう一度解けば大丈夫かと思う。
勉強のモチベーションアップには、気に入った文房具の存在も重要だ。
人生は常に走り続けているようなもの。
走っている最中は、今がどんな「とき」なのか分からないことも多い。
でもいつも成長を求めながら、自分自身の「走り方」を模索している。
「そのとき」は私たちの意思とは無関係に、来るべきときに与えられる。
だからどんな状況をも受け入れて、自分なりの「走り方」を求めながら私たちは歩み続けたい。
静かに信じて見守る心を失わずに。