国語の読解が苦手な息子と一緒に、毎日少しずつその取り組みをしている。
解答の根拠となる箇所を正確に見つけて答える、論理的な読み方の練習。
昨日その取り組みをしていて、もう一つ息子に欠けていると思ったことがある。
それはある種の想像力。
物語文で答えの根拠となる箇所は正しく分かっていた。
しかしその記述の意味することを正しく認識できていなかった。
物語の背景としては、たぶん江戸時代。丁稚奉公をしている二人の会話。
語られる現実からその厳しさを読み取るべきところ、
それが正確に把握できていないようだった。
時代や状況が異なり、自分が味わったことのない立場が描かれているとき、
恵まれ幸せに生きている息子がその本当の意味を想像し認識するのは難しいかもしれない。
読書などを通して、自分とは異なる立場や境遇にある人の存在やその考えを知って視野を広げ、
もう少し想像力を養うべきだと感じた。
自分たちが生きる現代の日本社会においてでさえ様々な環境があり
物事は多面的で、光があれば影がある。陰があれば陽もある。
日々の身近なニュースの中でさえ、私たちはそれに気付かされることがある。
例えばショッキングな事件の背景から、知らなかった裏側にさらに心を痛めることもある。
息子の好みの読書には偏りがある。
そして読解力不足と思われる状況で、あれこれ読書を勧めてもきちんと読み込めなかったリ途中で止めてしまったりもするだろう。
だから、書物や映像、その他の媒体も利用しながら
様々な立場や視点、見知らぬ多くの経験や思い、考え方があることを一緒に学び、
親子の会話を通してそれぞれを理解し、自身の経験や思いと結びつけていってもらいたいと思う。
こんなことは子どもがもっと幼いときに心掛けているべきだろうか。
私は未熟な母親だ、と思う。
以前は一緒に出掛けた夏休みの博物館にも、
今年はお友だちと行くようだ。
こうして子どもは成長していくけれど、
親としての私がし忘れていることや、これまでにし損ねていることは
気付いたときにいつでも反省して、
これからもできる限り親子での取り組みや会話の時間を持ち、欠けた部分を補っていきたいと思う。
息子の人生がより豊かなものとなるように、
共に思いやりの心を育んでいけるようにと祈りながら。